ここには私がいる。あなたがいる。
マグダラのマリアは娼婦でふしだらな女性だったのか。イスカリオテのユダは救われなかったのか―。新約聖書に登場する人々を、キリスト教の伝統的解釈の縄目から解き放ってまっすぐ見つめ直したときに見えてくるものとは。イエスに出会った人々の人生がストレートな感動をもって眼前に立ち上がってくる!
イエスの救いの手は、貧しい人たち、苦しめられている人たち、穢れとして避けられている人たちに真っ先に向けられました。貶められている人たちの中でも最もひどい扱いを受けている人たちのひとり、性的虐待を受けて子を宿し、その子を懸命に育てることになるけなげな少女たちの一人がマリアだったとしたら、それこそ、神のなさり方にふさわしいのではないでしょうか。(本文より)